ともに学ぶということ

スタッフをしている私は、

以前のいつもこんなふうに考えていました。

自分が、人の何倍も努力をして、実力をつけることで、

人の役に立ち、人を導ける存在になれると思っていました。

人よりも優れたものになれば、人の役に立てる。

私にとって人の役に立つことは、自分の存在証明でもありました。

そう、私にとって、何かを頑張るということの先には、誰かに承認を得る大きな手段だったのです。

そのために、私は優れたものを目指して

努力を続けていたのです。

 

優れたものを目指すその考え方の根底には、

人との競争が浮かび上がってきます。

私の中では実は優越感と劣等感とが両天秤のように揺れ動いていたのです。

でも、ここで考えたいことがあります。

人よりも優れたものでなければ、

人の役に立てないのでしょうか。

もしそうだとすれば、人の社会は、上下関係の世界になってしまいます。

社会とはなにか?

優れたリーダが導くピラミッド型社会もありますが、

人々がお互いに助け合いともに歩むサークル型の社会もあります。

サークル型社会では、人はなんのために学ぶかというと、

人の上に立つリーダーを目指すというよりも、

自分の好きなことや関心のあることを極めていくためです。

人は自分の好きなことや得意なことを見つけて、

それに励めばいいのではないでしょうか?

そして、それぞれがお互いに刺激を受け合う。

それで良いのではないでしょうか。

実用的に役に立つ、役に立たないというよりも、

その人がそこにいるという「存在」こそが最も尊いことなのです。

たとえ、お父さんが失業していても、

お母さんが家事をしなくても、

子どもが学校に行かなくても、

それでその人たちの「存在価値」がなくなってしまうほど、

私たちの人間社会は実用だけで

成り立っているわけではありません。
ただ、そこに人が生きている。

ただそれだけの平凡なことが、

どれだけ人の役に立っているのでしょう。
「ともに学ぶ」とは、

一緒に何かの勉強をすることだけではありません。

人がいるからしか感じられない「何か」。

それは、「語り合うこと」だけではなく、

その人がいるからこそ感じる「空気」かもしれません。

あなたがそこにいること、私がそこにいること。

そこで感じるいろいろなこと、

それを学び合うことが、学びの根底にあると思います。

それが「ともに学ぶ」ということです。
人と人が排除したり、されたりせずにともにあること。

いろいろな価値観を持った人がともに過ごすこと

「今」を感じて、「命」を感じて生きること

そうした学びこそ、今の世の中で、

大切なのではないでしょうか。

文責 スタッフ
しーもん

東京八王子・多摩ニュータウンのフリースクール。

生徒数は

高校生1名

中学生1名

小学生3名

合わせて5名の小さなフリースクールです。

京王線の「京王堀之内」
小田急線の「唐木田」
から徒歩15分です。

(多摩モノレールの「多摩センター」や
「南大沢」からも徒歩30分です。)

今通っているのは

八王子市、多摩市、町田市、調布市の

子どもたち

今までには、高尾や南大沢

神奈川県相模原市、

武蔵大和市、日野市、府中市など

広い範囲から通ってきていました。

 

この学校の特徴は、
大人が勝手に 何かを

子ども達に押し付けることはしません。

みんなが対等に
意見を出し合って全てのことを決めている

アメリカのサドベリースクールをモデルに
2014年に誕生した
学校です(デモクラティクスクール)

入学は4歳から19歳まで。
子どもにあった学校を見つけたい

こんな教育だったら

体験したい!

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気軽にお問い合わせください

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